トップページ]>[歴史のページ]>[国際通信の日本史]

INDEX

国際通信の日本史130

■□■□■ 第八章 大正二年
      日本独自の日支海底ケーブルに向けて火を吐く大折衝 ■□■□■


■■■ 八・一 日韓併合と対馬〜釜山間海底ケーブルの買収成功 ■■■


 明治四十二(1909)年十月、通信事業はじめわが国工業界育ての親である伊藤博文が暗殺され、それを契機として日韓併合が加速された。
 すなわち明治四十三(1910)年八月、日韓併合に関する日韓条約が調印され、明治三十年からの名称韓国を昔からの朝鮮と改め、朝鮮総督府が設置された。
 この設置によって、通信技術や特許制度を含む朝鮮の近代化は急速に進展することになる。

 もともと明治二十七年、日清戦争開始時期から、日本側の肝いりによって明朝的な封建制度の改革がなされてはいた。
 すなわち議会の創設、清国への従属関係の破棄、身分差別の撤廃など近代化が図られていたが、その中にはとうぜん、通信規則や通信局の設置があった。
 しかし、三国干渉によって日本の力が弱まったことや、ロシア勢力の浸透、指導部の認識不足・・・などによって旧体制への逆行がなされ、元の木阿弥に近くなっていた。

 そこで日本側は、総督府を設置して新たに徹底した近代化を推進することにし、膨大な資金をつぎ込んだ。
 発電所建設、道路建設、鉄道建設、ダム建設、裸山緑化、識字率向上、特許制度の確立、そして通信回線の充実、ハングルの普及・・・などなどである。
 たとえば裸山緑化では、日本から持ち込んだ苗木だけで六億本もあったといわれる。すべて日本人の税金である。

 とくに通信に関しては――前述のように――日露戦争時に日本の電信部隊が全力をふるって敷設した網の目のような電信電話回線を、なるべく民間用として活用し、さらに新しい回線や制度をつくり、サービス向上につとめた。
 このため、日露戦争のまえと日韓併合のあととで朝鮮半島の電信電話網をくらべると、七年しか経ていないのに、とても同じ国とは思えないほどの変わり様である。
 首都に達する電信回線ですらなきに等しかったのが、一躍近代国家なみに充実したのだ。

[つづく]

前ページへ 次ページへ

第八章INDEX

トップページ]>[歴史のページ]>[国際通信の日本史]