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国際通信の日本史143

■□■□■ 第九章 昭和十年
      世界を驚嘆させた松前重義の無装荷ケーブル
     (平成期世界の海で活躍する日本の光海底ケーブル) ■□■□■


■■■ 九・一 松前重義とはどういう人物か ■■■


 昭和七年になると、一月に第一次上海事変、三月に満洲国建国、五月に五・一五事件など、東アジアはますます風雲急を告げてくるが、この年の電信電話学会雑誌三月号に、松前重義(図9-1)の画期的な論文が掲載された。
 図9-2 にその一頁めを示しておくが、『長距離電話回線に無装荷ケーブルを使用せんとする提案』と題する有名な論文である。
 松前重義がこの無装荷ケーブルを思いついたのはもっと前で、それが少しずつ具体化してゆき、それに関する論文は昭和五年ごろから出されはじめるが、昭和七年には自信をもって総合的な提案をするにいたるのだ。

 松前重義の名は、いまでは東海大学の創立者としては知られてはいても、それ以外の功績については馴染みがないかもしれない。とくに通信工学上の業績については、知らない人の方が多いであろう
 大臣就任を断るなどポストに執着しない人でかつ自己宣伝もあまりしない人だったので、大東亜戦争中の東條英機との壮絶な死闘や、戦後のGHQとの闘いも、忘れられがちである。
 そこで、まずは簡単に履歴を記してみよう。

明治三十四年 熊本県に生まれる。
大正八年   熊本高工電気科に入学。
       (九州の柔道大会で優勝)
大正十一年  東北帝大工学部電気工学科に入学。
       (高専から入学を許す唯一の帝大だったため)
大正十三年  真空管の研究に励むとともに砲丸投げで東北選手権獲得。
大正十四年  大学を卒業し逓信省に奉職。
大正十五年  私塾「教育研究会」を自宅につくる。
昭和三年   無装荷ケーブルの研究に着手。
昭和五年   この頃から無装荷ケーブルの論文発表増える。
昭和七年   下関〜釜山間電信用海底ケーブルで無装荷ケーブルの実験に成功。有名な提案論文(図9-2)を発表。
昭和八年   ドイツ留学。さまざまな武勇伝を残す。
昭和十年   日〜朝〜満間無装荷ケーブルの工事開始。
昭和十一年  淺野應輔賞受賞。この賞金で翌年私塾を開設。工学博士授与。
昭和十二年  世界初の無装荷海底ケーブル完成。
       自宅敷地に「望星学塾」を開設。大正十五年の「教育研究会」の発展であり、後の東海大学の前身となる。
昭和十五年  東京〜ハルピン間無装荷ケーブル完成。
       大政翼賛会総務部長となり民主的運営を図ったため陸軍の東條英機一派と対立して辞職(*)。
昭和十六年  逓信省工務局長となり、東條内閣の政策に反対する運動を進める。

[つづく]

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