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国際通信の日本史153

■□■□■ 第十章 昭和十八年
      ついに回復した日本の自主権
     (昭和二十二年占領による無念の利権復活) ■□■□■


■■■ 十・一 昭和十五年 圧倒的な日本の国力を背景にして折衝に成功 ■■■


 明治十五年の屈辱の新免許状や、その後遺症としての大正二年の満身創痍の修正免許状――とくに「無期限の陸揚権」問題――の解決は、大正から昭和にかけての日本の国際通信関係者の悲願であった。
 この悲願がようやく達成されたかに見えた――実際にはまだ駄目だったのだが――のは、大正二年から三十年近くもたった昭和十五年になってからだった。

 昭和十五年の五月、待望の大北電信会社との営業権回収についての協議が成立し、長崎における陸揚権・営業権を大北電信は日本政府に返還するとともに、
「昭和十八年(一九四三年)四月三十日かぎりで日本における大北電信の海底ケーブル業務を全廃すること」
 ――がきまったのだ。

 明治三年の免許状から足かけ七十四年もの歳月を費やした折衝の末、ついにこれで海底ケーブルの植民地化状態が解消する――と思われ、関係者一同大喜びしたのだが、その折衝結果はのちにくつがえされ、日本の置かれた立場がそんな甘いものではないことを痛感させられることになる。
 しかしいったんは大北電信というノドに刺さった棘が抜けたことは確かなので、その経緯について以下に説明することにする。

 この年の協議の前提となった内外の情勢として、日米開戦を目前にひかえた日本にとって、ドイツが占領した国の企業(この年ドイツはデンマークに侵攻し全土を占領した)が利権を持つ長崎陸揚地が軍事上の問題だ――ということもあったが、長崎局の軍事的意味は薄れてきていたので軍はさほど神経をたてておらず、もっと別の問題があった。

 その一つは、大正以来日本の国策となっていた「国際無線通信」の普及に対し、大北電信が「営業妨害」であるとして直接または外交ルートを介して執拗に抗議をくりかえし、これが日本を怒らせ、悩ませていたことであった。
 もう一つは、大正二年(一九一三年)の修正免許状で禁止されていた顧客への直接取引を大北電信が密かにおこなって、日本には内緒で収益を増やしていたことが、逓信省の内偵でわかり、日本側を激憤させたことであった。

[つづく]

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