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国際通信の日本史169

■□■□■ 第十一章 昭和四十四年
      苦節九十九年 ついに完全平等を達成!
     ――実った世界戦略と関係国への利益提供―― ■□■□■


■■■ 十一・一 海底ケーブルの教訓を活かしたマイクロ波回線の国産化 ■■■


 昭和二十年代の後半から三十年代にかけてはTVの勃興期であり、昭和二十五年十一月にはNHKが定期実験放送を開始しているが、このTV時代の到来を敏感に見抜いた読売社主の正力松太郎が、翌年の昭和二十六年九月に、歴史に残る「正力構想」を発表して、国内に大きな議論を巻き起こした。
 正力松太郎は、明治十八年の生まれで、大正から昭和にかけて活躍したやり手の政治家・実業家で、戦後のマスコミ界の寵児でもあった。

 元は内務省畑で、敏腕の警察官僚として政府側の最前線に立って活躍していたが、大正十二年に起こった虎ノ門事件の責任者の一人として、翌年退官した。
 虎ノ門事件とは、時の摂政(後の昭和天皇)が狙撃されるという大事件で、海軍大臣から総理へと登りつめていた山本權兵衛の内閣はジーメンス事件についで二度目の総辞職に追い込まれている。

 この後、後藤新平の世話で、左前だった読売新聞社の社長に就任し、辣腕をふるって経営を建て直した。
 読売巨人軍を創設して日本のプロ野球を発展させたのもこの時代である。
 戦争中は翼賛会などで活動したためA級戦犯として逮捕されたが、結局釈放されて返り咲き、日本テレビを創設し、衆議院議員に当選五回という政治家としても活躍。松前重義とも協力して、科学技術庁長官と原子力委員長各二回など政府の要職にもついた。

 この正力松太郎が打ち出した「正力構想」とは、アメリカから技術や資本を導入して、民間主導によって、マイクロ波による全国TVネットワークをつくろう――というもので、発表時にはすでにアメリカ資本と話をつけており、構想発表の翌月には免許申請までしてしまった。
 これに対して、逓信畑をはじめとする国産尊重派の人たちは猛反発し、自主技術・自国資本を主張して大議論となったのだ。
 結局、当時の主管官庁である電気通信省内で意見が固まり、
「マイクロ波回線は日本の技術と費用で製造建設して同省で一元的に管理し、NHKや民間放送に貸与する」
 ――という方針を堅持することになり、国の各機関の了解を取り付けた。

[つづく]

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