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神代ー神話世界・伝承
神話世界や伝承は歴史ではない、しかし、何らかの物を含んでいると思う。また、これらは私たちの心の一部でもある。それ故に歴史ではないがこのページを設けた所以である。このページの書き方は事実の検証の記述よりエッセー風に成るかもしれない。
INDEX
・天地創世1−神々の最初(2002/10/15)
・天地創世2−国造りと神生み(2002/10/15)
・天の岩屋隠れ(2002/10/16)
・国譲り(2002/10/16)
・天孫降臨(2002/10/22)
・天地創世1−神々の最初
概ね世界各国の神話に存在する神々は天地を創世している。無の中に神が生まれ、その後に天と地が神の手により作られている。しかし、日本の神話の特徴は天と地が分かれる時に神が生まれたとある。この事が日本人の神に対する概念を形作ったのではないだろうか?または、日本人の神の概念からこの様な神話が生まれたと言うべきか。
さて、この部分の記述は「日本書紀」と「古事記」では少し異なる。
「古事記」では高天原がまず存在し、その次に天地が分かれたとある。もちろん天地を分けたのは神ではない。しかも、最初に高天原に居られた神々である天の御中主の神・高御産巣の神・神産巣の神は具体的な活動を行わずお隠れになってしまう。そして、その後にも神々はお生まれになるがお隠れになる。ここまでお生まれになった神々は独り神で、男女神の何れであるかは定かではない。その次に男神・女神ペアになった神々がお生まれになり、イザナギ・イザナミの神に続く。
「日本書紀」では7種類の最初の神々のお生まれになった話、そして複数のイザナギ・イザナミの神に至る話がある。独り神であろうと思われる神々が、その後どのようにされたのかは不明である。しかし、「古事記」と異なるのは系譜を大事にしている事と複数の説を記載している事である。おそらくこれは複数の氏族の系譜の伝承を記載するためにこのようになったのであろうと思う。
では、日本の神々といったい如何いった存在で在るのだろうか?西洋のように絶対神でもないし、さりとて人でもない。人がなれる存在と言ったら良いのかもしれない。形あるものに全て神が宿っていると言えばよいのかもしれない。しかし、形により制約を受けて十分な力を発揮できない、しかしその制約を解き放たれれば数々の不思議な力を発揮できる存在。そして、その様な神々が住まう場所が高天原であろう。
この様な事は明治時代以前であれば、いや、戦前でも当たり前の事であった事と思う。西洋啓蒙主義から見れば、このような事を考え信じる事は遅れている劣っていると考えるのかもしれない。しかし、西洋啓蒙主義が必ずしも人を幸福にしなかった事を考えれば、心の豊かさと言う点では如何なのであろう。
合理性や科学的思考を否定するつもりは全く無い。科学の進歩は生活を豊にする上で重要であると思う。しかし、科学で全てが解決できるわけでもないし、心の豊かさは科学では補えない。
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・天地創世2−国造りと神生み
高天原の神々がイザナギの神とイザナミの神に「海に漂っている陸地を固めよ」と命じられた事により国生みが始まる。記紀で共通しているのは「おのころ島」を作られたところである。(日本書紀には「おのころ島」が無い記載もある)おのころ島以降の国生みの記載が「日本書紀」と「古事記」では異なる。「古事記」では本州が九州より後で「日本書紀」は複数有るが本州の方が先である。国生みの順序が違うのは伝承の過程で、在住する地域により強弱がついた為だろうと思う。なお、島々も神様である事を記して置く。
次に神生みである。数々の神々がお生まれになる。その中で共通しているのは三貴神と言われる天照大神・月読尊・スサノオの尊と火の神がお生まれになった時、イザナミの神がお亡くなりになる。月読尊の事跡は殆ど書かれていない。日本書紀には天照大神から、食物の神である保食(ウケ)神を見てくるように言われて、保食(ウケ)神が食物を口から出したりした為、怒って殺してしまう。これが為につきに追いやられたと言う話が出てくる。しかし、同様の出来事が古事記ではスサノオの尊の行為として記載されている。
お亡くなりになられたイザナミの神に黄泉の国まで会いに行かれるイザナギの神のお話は有名である。(最近の若者は知らないかもしれないが)この黄泉の国の神話は出雲系統の伝承であるとの事。
さて、「記紀」ではスサノオの尊が暴虐に描かれている。余りにも暴虐に描きすぎではないだろうか。そのくせ、天照大神とスサノオの尊との誓約時にスサノオの尊からお生まれになった神様「正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホ)の尊が天下られ皇祖となられる。ここで不思議に思うのは国譲りの一方の主人公である大国主の尊もスサノオの尊の子なのである。
記紀の神代の話の主たる部分に出雲が絡むのである。記紀が出来たころは出雲の勢力は完全に朝廷の勢力下に組み込まれていた。出雲系の臣下が壬申の乱で功が有ったとの話を聞かないでもない。しかし、功が有ったくらいで皇祖に関わる事があるであろうか。しかも巨大な神社を建造しているのである。どちらか言うと、その扱いは天照大神より丁重に扱われている。
「記紀」の神話が創作されたと言うには余りにも不自然なのである。今後、考古学や歴史学の研究が進展し出雲との関りが解明されればわかるのだろうか?
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・天の岩屋隠れ
さて、有名な「天の岩屋隠れ」である。年配の方は良くご存知なのだが、私の年代までだろう。私の年代は、小学校の修学旅行の定番は「お伊勢さん」だったし、神話の話も学校の授業の中であった。子供向けに書かれた話でも色々あったように記憶する。現在では4社が日本の神話シリーズを出しているぐらいだ。残念である。
この、「天の岩屋隠れ」はスサノオの尊の大暴れに耐えかねた天照大神が、「天の岩屋」に隠れてしまう話である。「古事記」と「日本書紀」の大筋では思金の尊が策をだし、その策により神々が天の岩屋の前でお祭り騒ぎをする。踊るのは「アメノウズメの尊」。さて、その騒ぎを不審に思い、短いやり取りで「別の日の神」が世界を照らしていると知らされてしまう。「天の岩戸」を少し開いて見ると、確かに別の「日の神」の姿がみえる。しかし、それは鏡に映った天照大神ご自身の姿だった。その鏡が三種の神器の一つといわれている「八咫の鏡」である。そして、岩戸を開けたのがタチカラオの尊である。
「日本書紀」には別の話もある。お祭り騒ぎはせずに、祝詞をあげただけの話やスサノオが乱暴狼藉を行わず速やかに誓約後去って行く話しがある。また、誓約と天岩屋隠れの順序が逆の話も載っている。
主流の話では、この「天の岩屋隠れ」によりスサノオの尊は高天原を追放されてしまう。
「天の岩屋」の前で行われた祭りが、ひょっとすると庶民の祭りの原型なのではないだろうか?
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・国譲り
さて神代の終局へ向けての一歩である国譲りである。事の始まりは天照大神が豊葦原瑞穂の国を我が子「正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホ)の尊」に統治させようとした所から始まる。この時点で豊葦原瑞穂の国の統治者は決まって居なかった。スサノオの尊が先に地上に来ていたのだが、スサノオの尊がイザナギの神に命じられたのは海の統治者となる事である。しかし、スサノオの尊自らが進んで黄泉の国の統治者になりたいと申し出、許されたため黄泉の統治者となる。
高天原から追放されたスサノオの尊は出雲に降り立ち、その地を平定し子孫を設ける。その子孫が大国主の尊又は大己貴の尊又は大物主の尊と呼ばれる。「古事記」では七世の子孫で「日本書紀」では子供〜八世の子孫までばらついている。「古事記」はこの大国主の尊についての物語を多く載せているが、「日本書紀」はあっさりとしている。
さて、高天原から国を譲るように要求された大国主の尊は割とあっさり国を譲る事を承諾してしまう。もちろん事代主の尊が戦わない方が良いと言って亡くなったのも原因の一つだろう。大国主の尊はあっさり譲り渡してしまったが、この後戦いが起こる。「古事記」には建御名方の神、「日本書紀」には香香背男(カカセオ)またの名を天津甕星(アマツミカホシ)である。「古事記」この建御名方の神が最後に抵抗されたのが諏訪で、諏訪大社の御祭神である。
さて、気になるのはこの争いが「相続の争い」ではないかと言う事である。前回も書いたように大国主の尊と統治者として選ばれた正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホ)の尊は同じスサノオの尊から生まれ出ている。(ただし、天照大神の持ち物を使ったという記述もあるので、一概には言えないが。。)ただ、この国譲りは現実世界の何がしかの行為が伝承として伝わったのではないだろうか。が即断は出来ない。現時点で言えるのは統一の過程の内の何がしかを伝えたと言う事だろう。神武天皇の東征以前にこの地が王権に統合されていたのではないだろうか。
近年、色々な人々がこの部分や他の記述から想像の翼を逞しくさせて、同族であるとかまたは、九州王朝系と出雲王朝系が壬申の乱まで並存していたとか発表している。しかし真偽のほどは矢張り不明である。学術的な研究の進歩が解決してくれると思う。
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・天孫降臨
高天原よりニニギの尊が日向の高千穂へ降臨される神話である。当初正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカアカツカチハヤヒアマノオシホ)の尊が葦原中国を統治される予定であったが、平定と国譲りの間に天津彦火瓊瓊杵(アマツヒコヒニニギ)の尊(ニニギの尊とも言う)がお生まれになった為、ニニギの尊が降臨されることになった。
ニニギの尊が降臨される時に三種の神器である八尺瓊の曲玉・八咫の鏡・草薙の剣(天叢雲剣)である。この内、草薙の剣(天叢雲剣)はスサノオの尊がヤマタノオロチを倒されたときヤマタノオロチの腹の中から出てきたものであり、後に日本武尊が火攻めに合われたときに草をこの剣で薙ぎ払って防がれたのでこの名前がつけられた。
ニニギの尊に同行して降臨された神は、天児屋の命・太玉の命・天鈿女の命・石凝姥の命玉屋の命の五部である。
降臨される途中で道を塞ぐ国津神に出会われる。天鈿女の命に名前と行き先を問わせると、猿田彦の神と名乗られた。そして、ニニギの尊は高千穂へお行きになられると同時に猿田彦の神ご自身は、伊勢の五十鈴に行くと。また、天鈿女の命に名前を明かしたので五十鈴へ最後まで送って欲しいと。天鈿女の命は伊勢の五十鈴へ猿田彦の神を送っていかれた。また、猿田彦の神の名を顕されたので、猿女君と以後名乗られる事になる。
さて、降臨されてからニニギの尊は大山祗神(オオヤマツミノカミ)の娘である神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)別名、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を娶られる。一夜の契りで姫が懐妊されたので、ニニギの尊はご自分の子ではないと疑われたが、姫は「命の子ではないなら、生むとき無事にすまない」と言われ土で塗り固めた小屋にお入りになられ、ご出産されるときに火を放たれた。その中でお生まれになったのが、火酢芹命(ホノスセリノミコト)と彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)である。
お生まれになったホノスセリの命が山幸、ヒコホホデミの尊が海幸であり、あの有名な山幸・海幸の神話となる。ヒコヒコホホデミノ尊が豊玉姫を娶られてお生まれになった子がヒコナギサタケウガヤフキアエズの尊であり、ウガヤフキアエズの尊が玉依姫(豊玉姫の妹)を娶られてお生まれになったのが、神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)の尊いわゆる神武天皇である。
天孫降臨での疑問はなぜ、日向なのかと言う事である。推測では、日向に来た渡来系民族が後の大和朝廷の王権を握ったと言う事なのだろうと思う。もし、「記紀」が全くの物語であれば、日向ではなく難波か大和(磐余)辺りを降臨の場所とするのではなかろうか。そこから思うに、何がしかの伝承を伝えているのだろうと思う。
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